人生は修行のように厳しい……と感じている方は多いと思います。
それは、魂の成長には必要不可欠であると、仏教では考えられています。
この考え方は正しいのか、本当に人生を豊かにできるのかを解説していきます。
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人生は修行の連続である
修行とは、身も心も鍛えるために厳しい訓練を行うことです。
本来なら自発的に行うものなのですが、人生は修行に例えられることがあります。
何故なら、それを実感できるツラい出来事が日常茶飯事のように起こっているからです。
家族の問題、学校の問題、会社の問題、地域の問題……。僕たちは社会で生活する過程で、あらゆる問題に直面します。
その悩みを抱えている時期は、耐えがたくつらいものです。
それをなんとか解決したと思ったら、次は違った問題が発生する……。人生はこの繰り返しです。
そう考えると、人生は修行の連続だといえるかもしれませんね。
ただし、修行とは単につらいだけの意味で使われる言葉ではありません。
仏教では、このことを魂の修行とも呼んでいるようです。
魂の修行の目的は?
人生の修行は、魂を成長させるために行っている……。仏教では、このようなニュアンスで教えられています。
つまり、魂の修行こそ本当の目的となります。
では、この魂とはどういう意味なのでしょうか?
仏教では、転生という考え方があり、魂は甦ると教えられています。
そのため、前世で善い行いをすれば、その魂は転生したあとでも善き心を持って生まれることができるそうです。
だからこそ、修行だと思えるようなつらい出来事をありがたいと思ってこなすべきだというわけです。
さて、この話で疑問に思った方もいることでしょう。
それって本当なのか? 転生などあり得るのか?
100歩譲って転生が本当だとしても、転生したあとの人生のために今を頑張る必要があるのか?
こういった疑問を持つと、仏教の考え方は正しいのかどうか、首を捻りたくもなりますね。
では、真実はどうなのでしょうか?
仏教の考え方は正しいのか?
結論から言ってしまえば、生きている人間がその後の人生を確認する方法は存在しないため、仏教の教えが正しいと証明することは不可能です。
現実的に考えると、転生はないと思っても良いでしょう。
だからといって、仏教の教えが根本から間違っているわけではありません。
ここからは個人的な解釈も含めますが、仏教の教える魂の修行とは思いやりの話に繋がるのではないでしょうか。
自分が優しくすることで相手も優しい気持ちになる……。こういった経験は誰にでもあると思います。
思いやりは、世代をこえても繋げることができます。
父から子へ正しい教えが伝われば、その後に生まれた孫も正しい人生を歩むことができるはずです。
だからこそ、人生の修行だと思える問題から目を背けずに解決するべきなのです。
そうすることで、あなたの心(魂)が成長し、その知識が周りの人を手助けできるようになるからです。
こうして思いやりの輪が広がっていくと考えれば、あなたの来世でも優しい人と巡り合う確率は高くなっているかもしれないですね。
もちろん、これらは理想論であり、現実には悪い事しか考えていない人間もいます。
ですが、そういった人間から生き方を学ぶほうが正しいとは絶対に思えません。
そう考えると、人生で起こる問題を修行と受け入れ、明日のために努力する生き方のほうがカッコイイといえるでしょう。
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まとめ
人生は修行のように、つらいことがいくつも起こります。
それを魂の修行だと思って頑張るのは、たぶん難しいと思います。
そうではなく、『自分の心を成長させ、よりよい人生に向上させるためには必要なこと』だと考えたほうが、よっぽど頑張れると思います。
そして、その頑張りを周りの人は正しく評価してくれます。きっと、応援もしてくれることでしょう。
だからこそ、誰に見られても恥ずかしくない方法で問題を解決すべきなのです。
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