「世の中は不公平。悪いことをしているのに捕まらない人がいる」
「正直者はバカをみるような人生なんだ……」
こんなふうに思っていませんか?
ですが、そんなことはありません。人生は帳尻が合うようになっています。
どうして辻褄が合うのか、その理由を解説します。
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人生の帳尻の意味とは?
そもそも、人生の帳尻とはどういう意味なのでしょうか?
本来の『帳尻』とは、帳簿をつけるときに使われるもので、記載の終わりを指す言葉となります。
それが転じて、『決算の結果』や『話の辻褄』といった意味として使われるようになりました。
つまり、人生の帳尻とは起こしたアクションに対して、必ずなんらかの形で結果が伴うという意味です。
分かりやすくいうと、『情けは人のためならず』ということですね。
人を手助けしたはずが、それが回りまわって自分のもとに帰ってくる……。これが人生の帳尻となります。
だからこそ、人生で起こるほとんどの出来事は、帳尻が合うようになっているのです。
人生は帳尻が合うようになっている
「悪いことをしたら、いつか必ず捕まる」
こんな話を聞いたことがあるはずです。
ですが、大人になると「これはウソかもしれない……」と疑う人もいるのではないでしょうか?
世の中には、悪いことをしていても捕まっていない人が大勢いるからです。
例えば、犯人がまだ特定されていない事件をニュースで見たとき、そんなことを思ってしまいますよね。
ですが、こういった状況でも人生の帳尻は合うようになっています。
これは、犯人の人生を想像してみると分かりやすいです。
捕まっていないからといって、犯人はリラックスしながら読書を楽しんでいるわけではありません。
「今、物音がしなかったか? 誰かにつけられてる?」
「わっ、パトカーだ。オレのことを探してるのか?」
犯人は、心休まる機会が一切ありません。寝ていても、わずかな物音で目が覚めてしまうはずです。
つまり、犯人は『目的を達成する』という対価の代わりに『平和な日常』をなくしてしまったわけですね。
このように、人生の帳尻とは『犯罪を犯す』→『捕まる』といった分かりやすいものばかりではないのです。
ですが、ときには辻褄が合わない出来事もあります。
それでも辻褄が合わないと思えるもの(帳尻合わせ)
人生では、どう考えても辻褄が合わない出来事もあります。
それは、幼い子供の命が奪われることです。
子供は無邪気なだけですので、本当に罪を犯した子などほとんどいません。
にも関わらず、犯罪に巻き込まれて命が奪われることがあります。
戦争もそうですね。子供に限らず、戦う意志のない人々が国の都合で尊い命を落としてしまいます。
こればかりは納得がいかない話ではありますが、人生の帳尻合わせの被害に遭ったといえるでしょう。
つまり、個人レベルではなく、人類単位で処理されてしまったということです。
かつて、世界は核戦争を始めるところまで進んでいました。
ですが、その被害に遭った日本の姿をみて、多くの人が核を使った戦争が愚かであることを学んだのです。
人生の帳尻合わせの被害に遭った方や遺族からすれば、たまったものではありませんが、それでも人類は成長することができました。
生き残った僕たちができることは、その事実を教訓として活かすことしかないのです。
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まとめ
例外的なものもありますが、ほとんどの人生は帳尻が合うようにできています。
悪いことをすれば、必ず罰せられる。いいことをすれば、必ず評価される……。それが人生というものです。
これは、『幸せと不幸せの割合』と似ているかもしれませんね。
人生の幸せの割合の真意については、こちらで紹介しています▼
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